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2018/07/08

もし今日が人生最後の日だったら

やっぱり、

『ああ、もっと旅しておけばよかった……』
と、思うだろうなあ。
これ確実だ。

2018/06/28

身体が動かない

「世界の窓」という番組をやっている。
この番組にはひとつの型というかある一定のフォーマットがあって、僕もディレクターとしてはかなりのベテランの域に入ってきたから、その型は自分なりに把握していて、撮影の時に応用している。
つまり、「あれを撮ったら次はこれを撮って……」という具合にこの番組の撮影は僕の中である意味マニュアル化されているのだ。これがあれば例えば時間のない状況の中で迷うことがない。5分番組をおよそ4時間半で撮り終えることができる。(えっ、5分番組でそんなに収録に時間がかかるの? と言われるかもしれないが僕は誠実に丁寧に仕事をするのでこれぐらいかかってしまう)心身の状態がすぐれない時もこれでしのげる。
ところが……
一度だけ、この手法が通じないことがあった。
スペイン北部の或る町での撮影だった。
その家には素晴らしい出窓があり、一目で『これはいける』と確信した。つまり、番組として成立する物件だと見極めたわけだ。「世界の窓」として紹介するにふさわしい窓だと。
撮影するには住む人の許可をとらなくてはならない。これは当然だ。
僕とコーディネーターのHさんはその家のドアチャイムを鳴らした。
出てきたのは初老の女性だった。ちょっと疲れているかな、という印象を受けたが、スペインの田舎でよくあるように見知らぬ東洋人である僕たちを快く受け入れてくれた。今から撮影してもかまわないという。
それじゃあ早速、ということでスタッフ、機材を家の中に入れた。例の出窓の内側に入る。『さて引きを撮って寄りを撮って……』といつもの如く自分のマニュアルに沿って撮影を始めようとしたのだが身体がなぜか動かない。スタッフに指示する言葉も出てこなかった。
『なぜだ? 何が起こったんだ?』
と僕は焦った。焦ったがしかしダメだった。撮影は断念した。
聞けば家の持ち主は3ヶ月半前にご主人を亡くしたという。彼はこの家の中で亡くなったのだ。
『ああ、そういうことだったのか……』
となぜか納得した次第。

2018/05/03

犬の幸福

南米ぐらい土地が広ければ犬も幸せなんだろうな、と思う。

広い土地で、リードや首輪をつけず、走りたい時は走り、寝そべりたい時は寝そべり、主人に寄り添い、己のテリトリーは守る。

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それに比べると東京の犬は可哀想だ。世界でいちばん可哀想かもしれないなあ。

2018/05/02

初めてのエクアドル

この国には偏見をもっていた。

相当前(もう二十年ぐらいになるかな)、この国を取材した同僚ディレクターE君から、
「首都のキトを取材していたら目の前で赤ん坊が誘拐されるのを見た」
という話を聞き、
『こりゃ相当に治安が悪いところなんだろう……』
と、固定観念を持ってしまったのだ。
そして今年、なんやかんやご縁があって初めてエクアドルを訪れることに。
来てみるとなんのことはない、南米でいちばん治安がいいんじゃないか? と思えるほどの安らかな国である。
E君の体験はいったい何だったのだろうか?
何事も自分の目で確かめてみないとわからないな、と改めて学習した次第です。

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キト郊外の牧場にいた犬。ボーダーコリーでしょう。連れて帰りたいぐらいかしこい奴だったけど、日本では幸せに暮らせないだろうな、と断念。

2018/02/07

バオ・ダイという人生を知る

バオ・ダイは、1954年にゴ・ディン・ジェムを首相に任命したが、ジェムは1955年にバオ・ダイを引きずり下ろすために国民投票を実施した。その結果、ジェムは勝利し、ベトナム国を共和制へと移行させ、ベトナム共和国を樹立してその大統領に就任した。

廃位されたバオ・ダイはフランスのパリへ亡命したが、その後はベトナムへ帰国せずにカンヌ付近で余生を送る。1972年にはベトナム戦争の終結と南北の和解を呼びかけていた。1997年7月30日にパリの陸軍病院で死去した。

バオ・ダイ

2018/02/04

カイディン帝即位の由来

1916年、11代皇帝ズイタン帝(タインタイ帝の子)が宗主国フランスを排除しようとしたために廃位され、レ・ユニオン島へ流刑となってしまったので、フランスによって12代皇帝に擁立されることとなり、年号を「啓定」と定めた。



調べるほどに、イロイロ問題のあった人物と思われる。面白いなあ歴史って。




カイディン帝 より)

フエに行ってみました

フエベトナム語: Huế / )は、ベトナム中部の都市で、トゥアティエン=フエ省省都である。19世紀から20世紀にかけてベトナムに存在していた阮朝の首都に定められていた。

フエはフランス語風にユエと呼ばれることもある[1]。フエの漢字名の「順化(トゥアン・ホア、Thuận Hóa)」は、14世紀陳朝が設置した順州・化州に由来する[2]。二つの行政区画のうち、かつてフエの町が属していた「化州」の漢字音hoá)が転訛して、町はフエと呼ばれるようになったと考えられている[1][3][4]。フランス植民地時代にトゥアン・ホアを訪れた外国人は、町を「スェウナ」「スィネア」「シネア」と呼んでいた[5]

一部の歴史的建造物がユネスコ世界遺産(文化遺産)に、また宮廷芸能であるニャーニャック(雅楽)が無形文化遺産に登録されている。

フエの市街地と郊外には阮朝時代の王宮、皇帝廟、仏教寺院および遺跡が多数残されており、その中の一部は「フエの建造物群」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。

  • 安定宮 - 啓定帝(カイディン帝)の離宮として使われていた建物。バオ・ダイの即位まで皇帝の住居として使用されていた。
  • カイディン帝(在位:1916年~1925年)の廟の意匠にはバロック様式の影響が見られ[54]、廟の内部の壁と天井は磁器やガラスで装飾されている[55]。バロック様式だけでなく、仏教寺院、ヒンドゥー教寺院、キリスト教寺院の特色が見られ、西洋と東洋の建築様式が混合した建物になっている[55]。内部には金箔が貼られたカイディン帝の銅像が置かれ、像の約9m下に皇帝の遺体が安置されている[55]

    Wikipediaより)

«ホイアンに行きました